うたごえ(歌声)運動というのをご存知だろうか?
まずは、時折TVで写される新宿の歌声喫茶+αと思って頂ければ良い。

初めて出会ったのは高校に入学した時である。
「屋上歌う会」というのがあって、屋上の花壇の周りに皆が集ってくる。生徒は勿論”原爆許すまじ”を作曲された社会科の木下航二先生他教師も生徒もガリ版刷の歌詞片手に、アコーディオンの伴奏に合わせて皆で大声で歌った。

当時東大にあったサークル「音感C」がロシア民謡を日本語に訳して広めていた。これらロシア民謡をはじめ生活に根づいて生まれた各国の民謡、それい前述の”原爆許すまじ”や”桑畑”等うたごえ運動の中で新しく作られた歌であった。

「もずコール」は茨城大学の中の「うたごえサークル」である。
いつから始まったかのかは良く解らないが大学に入学して真っ先に入部。
4年生が1名2年生が数名、後は一年生が10名程度。
上級生が少なかったのは、“コーラスが初めて!の人でも音痴でも大歓迎!一緒に歌いませんか!”といううたい文句に誘われて「もずコール」に入ってきたのに「うたごえ運動とは!?」という議論の中で大半の人が退部してしまったからのようだった。

しかし、僕に取っての茨大の4年間は勉学よりも、「もずコール」に「ブラスバンド」にまた、「水戸労音」や「フォークダンスのサークル」に・・&生活費稼ぎに・・と兎に角走り続けた4年間だったように思う。
一つには、60年安保の後、ポッカリと空いた大きな空洞を懸命に埋めるようとしていた面もあったかもしれない。
その中でも「もずコール」での「歌」がいつも勇気を与えてくれたと思っている。また、もずコールの仲間とは歌うのと同じくらいイヤそれ以上に毎日毎日ありとあらゆることについて議論した。4年間もよくぞ議論したと今になっては懐かしい思い出である。

サークルでの合唱も楽しかったが、高校時代の「屋上歌う会」からstartした僕にとって、「藤棚コーラス」はもう一度その原点に戻ったようで楽しかった。毎回のように集ってくれる人もはじめての人も、皆で一緒に歌うことを楽しんでいた!
そして少人数だったサークルの人員も2年になった時には一気に50名の大所帯になった。

歌声喫茶+αとはじめに書いたが、正しくは「うたごえ運動」というように「運動」としての活動である。
詳しくは、今でも全国協議会が作られて活動しているのでそちらを見て頂きたい。
                             [日本のうたごえ全国協議会]

 もう一つ「もずコール」で忘れてならないのは谷嶋早苗氏の存在である。
多分谷嶋氏とその仲間がこのもずコールの基礎を作られたのだと思うが、先輩の作曲された「いわし雲」はいわば「もずコール」の持ち歌であり、「もずコール」=”いわし雲”といった象徴的な歌である。
 
 関東学生音楽祭等で”いわし雲”を歌っていたのが、伝わったのか?1965年京都の「島津混声合唱団」の第30回勤労者音楽祭でこの”いわし雲”が歌われ「勤労賞」初受賞。
その後同「島津混声合唱団」の創立60周年記念演奏会(2003年4月)でも、歌われその発表会の動画が同合唱団のホームページにUpされていて素晴らしい合唱だ聴けた、
 この曲が歌い継がれていることに、改めて嬉しさと驚きと!→同合唱団のホームページに記念演奏会の「CDを販売しています!とあったので、直ぐにお願いした。少し待って下さいと返事が来たが心待ちにしているところである。2003/5 
 *その後同ホームページhttp://www.paw.hi-ho.ne.jp/unemoto/が無くなりましたのでのリンクを外しました*

前述の島津混声合唱団にCDを申し込んでいたが、送って貰えないでいたら茨城大の在京同窓会の後輩から、その後「ソノシート」を作成して、一部をMP3で送って頂いたので視聴室にいれておきました。
 
なお、09-11-23朝日新聞・茨城版にもずコールのOB(代表:久保田俊雄氏)が京都市の文化会館での島津混声合唱団の演奏会にと特別出演し、一緒に歌う!とあった。
谷島さんは体調不良で参加できず・・・とあるのが気になるが、素晴らしい歌が歌い継がれているというのは何とも嬉しい限りである。
2009/11
仲間-1 仲間-2 OB会-1 OB会-2  歌い継がれる「いわし雲」 視聴室
もず・コール
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