「和光会」MELTEC本社OB会の立ち上げについて

 MELTEC(三菱電機ビルテクノサービス株式会社)は、昭和29年(1954年)菱電サービス株式会社として、三菱電機の昇降機施設部の保守関係者僅か22名でスタートした会社である。
 多数の社員の努力と事業環境・顧客に恵まれたことも相まって、来年2004年には社員7,400名関係会社を含めると略10,000名の規模で創立50周年を迎えることになった。

 入社以来15周年、20周年、30周年、40周年と夫々の記念式典や特別企画に参画してきたが、中でも20周年の際には「社史編纂」を担当したこともあり、創業以来の諸先輩・同輩・後輩諸氏の地道な努力の結果が今日の姿にまで大きく発展させてきたことを思うと感慨ひとしおである。

 その後、社名は「三菱電機ビルテクノサービス株式会社」と変更したが、いずれにしても「サービス」を生業としてスタートし、発展してきた会社である。
 設立当初は「サービス」というのは無償で行うことだろう!と言われ諸先輩が苦労したこと、「サービス」という呼称のイメージが良くないという声も結構多いが、個人的は大好きな言葉である。
 入社後の配属が社内サービスを担当する庶務課だった性もあるかも知れないが、僕の中の「サービス」は、困っている人に手を差し伸べる仕事&相手と一緒に解決に取り組める仕事。従って、喜んで貰え、とても楽しい遣り甲斐のある仕事!だと思っている。

 メーカーと異なり現場の保守・点検の技術者が夫々の現場に向かうわけで、彼等の技術・技能がまた仕事に対する真剣さ・熱意がそのままサービスの品質を決めるし、仕事のやり方如何で作業効率も変わる会社である。
 従って、現場の技術者の育成・教育が正にこの会社のKeyになっており、人材=人財であった。

 一浪して23才で入社した当時、社員の平均年齢は21才代と入社時点で平均年齢よりも年寄り!それほど会社も社員も本当に若い会社であった。
 しかし、唯一残念なことに「人財」として誇りを持って働き、会社も何とかそれに報いようと努力してきても、何故か退職した後は「ハイそれまで!」という状態が続いていた。ましてや、中途退職や結婚退職の女性へは組織だったフォロー体制は全く無かった。

 人生8-90年と言われる今日、概ね40年前後会社で働いた後、まだ?3-40年の長きに亙っての人生がある。
 勿論、趣味にあるいは新しい挑戦にチャレンジする方も多くいるが、この長い人生の一つのstageとして会社のOB会の果たす役割も大きなものがあると考えていた。
 歳を取るに従って親族も昔からの友人も少しずつ減ってくる。一方、若い頃はこの野郎!と競っていた仲間も年を経て直接利害関係が無くなると、これまた懐かしい仲間に変わることも多い。そんな場というか何かのきっかけを作る場が出来ないか!
&OB、OGが退職後もMELTECファンで居て欲しいし、MELTECを見守っていてくれる存在であって欲しい!とも。

 10年位前当時の滝井専務がOB会位作れよ!と人事部へ。支社の総務部はそうですね!と順番に出来始めたが、本社の人事・総務部は全社対応が主で本社場所対応はやはり二の次になってしまう。そこで、子会社のMTBにOB会の運営を!と働きかけ、そうですね、解りました!とまでは言ってくれるが何時まで経っても実現しない。一方で、自分の出来る範囲でと10位前から在籍していた企画部のOB・OG各位へは年末に1年間の部内や会社の動向等を連絡しはじめた。人員は少ないが結構住所変更やMailアドレスの変更等毎年フォローしないと直ぐに音信不通になってしまう。

 そうこうしている内に自分自身の定年が迫ってきた。会社にいる内に設立しなけば!と思っていた矢先に同期入社で同じ庶務課で汗を流した布施君が本社人事部へ転勤してきてくれた。オイやようよ!つくりましょう!となったがお互いに忙しくてなかなか出来ないでいる内に定年を迎えてしまった。幸いエルダー社員ということで1年在籍となったことからこの間に!と準備を始めた。

 まず、会を作るにあたって「来るものは拒まない、去るものは追わないということで円満退職した元社員なら誰でも入れる会とする」、「在籍中の職位や功績等に関係なくOBという同一の条件下での会とする」、「会長・副会長とか名誉職的なものではなく実際に動いてくれる方に役員をお願いする」、「会員同士の自主的な活動・運営が本来の姿であって、OB会はそれらの活動をしやすくする為の相互連絡・きっかけ作りや名簿作成を主任務におく」、「ホームページの作成・活用、E-Mailの活用によって迅速・簡単且つ安価な会の運営を考える」等々の基本原則をいくつか立てて検討を開始。
併せてOB会のホームページ用としてYahooの無料サーバーを申し込み・確保。
 
 次いで名簿作りであるが、これが思った以上に大変な難問だった。NAISの人事データも極く最近の人しかデータがないし、あっても退職後フォローしている訳ではないので住所変更等は不明。各部に聞いても自部門のOB、OGを組織的に把握されているいる部門は皆無。唯一退職金を年金受給にした方についてのみ現住所が解ったが、本社OBかどうかの区分はない。勿論、女性の中途退職者等は皆無。加えて東京地区については当初本社・東京支社の区分がなかったこともあり、どちらかというと本社OBだよなー!という方でも早くから活動を開始した東京支社OB会に加入している方がかなりいる。と言った状態。
 何とかこれらを組み合わせながら案内を出したが、どこまでフォロー出来ているか? 多分案内を出せたのは本来の対象者の5-60%位かと思っている。

 幹事にはボランティアとして動いてくれそうな方に声をかけて引き受けて貰った。出来るだけ各部門を網羅してと考えてお願いしたが、先輩諸氏も快く引き受けて頂けた。会長等は置かないとしたが、問い合わせ先他もあり前述の布施君に代表になってもらった。また当面、問い合わせ等への対応は、総務の本田君、企画の中島さんと合わせてA室のメンバーでの対応体制をお願いした。また、ホームページの関係は元情シ部の金井君という適材を得て協力をお願いすることが出来た。

 並行して社長、総務B、人事B、企画Bに企画内容を説明しカレンダーと1194等の提供お願いをと情報提供他の協力を依頼。カレンダーと1194の提供他気持ちよく了承してもらえた。

 幹事の方々また各部のご協力を頂いて、本年6月21日システムプラザにてM's stationの見学と併せて設立総会及び懇親会を開催し何とか無事スタート。
今後他支社のOB会との連携も図りながら、何とか1-2年で基礎固めをし次の世代にバトンタッチ出来ればと思っている。
                                  

2003年8月  地頭所 惇