松嶋 淳先生よりの手紙と短歌

みなさん、こんにちは。ひさしぶちにお会いしたので、スムーズに挨拶の言葉が出てきません。もっとも、今日に限ったことじゃないけど。

 それにしても、こうして顔を合わせるとほんとうになつかしいねえ。前回の飯山の会からは四年ぶり、随分今日のくるのを待っていたよね。

 「もうそろそろクラス会ある頃だと思います」「お会いできるのを楽しみにしています」・・・・こんな手紙や年賀状をいったい何通もらっただろうか。これはお世辞じゃなくて、しんから会を待ち望んでいた証拠だよね。みんなが待ちに待ったクラス会なんだから、今日は思いっきり楽しい会にしようよ。懐かしさをぶつけ合おうよ。

 ところで、みんなが望みながらクラス会をもてずにいる例が沢山あるということは皆も知っているだろう。あるいはその方が多いかもしれないよ。みんなが待ちこがれていても、旗振り役、縁の下の力持ちがいないとクラス会なんて開けないのは当たり前だよね。

 そういう意味で、こうしてクラス会をもてるのは、しかもこんな豪勢なホテルで開けるということはとっても幸せなことだと思うんだけど・・・

 今日の会の幹事さんをはじめ。今まで音頭をとってくれた幹事さんに厚くお礼を言わせてもらいます。

 こんなことを書くと「わかってるよ」「当たり前のことをいうな」といわれるかもしれないけれど、ぼくはつくづく「何でもないこと」「当たり前のことが人生にとってはすごく大事なのだということ」を今頃になってやっとわかったように思うんだ。重大なことより、ひょっとすると当たり前のこと、ちょとした小ちゃなことが人生にとっては案外大事なのかもしれないとね。

 それともう一つ、クラス会に出席できるということはすばらしく幸せなんだと思いたいんだ。第一健康でなければ出席できないし、また出席できる条件が整っていなければこれまた出席できないでしょう。家族が健康で生活が成り立ち平和な生活が保たれていなければ進んで出席したいとは思えないだろうし・・・

 そういう意味でクラス会というのは「たかがクラス会」ではなく「されどクラス会」だといいたいんだ。とに角クラス会はある意味で幸せのバロメーターともいえないだろうか。

 最後に、地頭所君から電話や手紙をもらって今日の日を楽しみにしていたのだけど、別荘暮らしのやむなきに至り、口惜しくてなりません。腹にはチューブのついた容器がぶら下がり胆汁を外に出しています。胆のうが炎症をおこしてパンパンになり、放っておくと敗血症をおこすといわれての緊急入院。炎症がおさまるのを待って、胆のうの摘出手術をする予定でちょっと長くなるかもしれません。 クラス会では教師は刺身のツマ。それでもツマがないとやっぱり刺身はさまにならないので、ツマなしにしてしまってほんとうに済まないと思っています。

 じゃ、楽しくすばらしいクラス会を願っています。

               118日  新宿・都立大久保病院にて 松嶋 淳

次に、クラス会に寄せて短歌若干。

  クラス会によせて

総勢で二十二名が集うという
     心おきなく歓談したまえ。

大阪よりかけつくるあり 
     仙台より集えるもあり三年一組クラス会

出欠のメッセージ集よみながら 
     ふと過ぎりたる少年少女(こども)の面かげ

生徒(こども)らと「一組」の縁(えにし)もちたるは 
     我三十歳の青年教諭

おのおのに生業(なりわい)をもち 
     家なして激動の世をよく生きてきし

金・物足らぬことなどなきしごとく 
     明かるき声は学び舎に満つ

人にいえぬ苦しきこともありぬべし 
     こ(教え子)らの笑顔はありし日のごと

舞浜のホテルに集う友みなは 
     時を忘れていざ語らえよ

歌もよし 話すもよけれ 
     思いのこすことなく過ごせ時刻(とき)のくるまで

語りなば三十八年の時間(とき)越えて 
     少年少女の顔に還らむ

人生のおおかたを過ぎて思いしは 
     悔いの残れる「生涯」(ひとよ)なりけり

「思うだけで果たせざりき」という悔恨! 
     我老いづきて知る愚かさよ

「これからがほんとうの人生だよ」と 
     人生の先輩面してこ(教え子)らに語らむ